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第二回目のブログです。
現在2018年5月3日(水)です。
礼拝からかなり時間が経過してしまいましたが、もし、お手すきの時間がありましたら、本ブログを読み、楽しんだり癒やされたりして頂けたなら、筆者としては大変うれしく思います。
さて、2018年4月29日の主日礼拝についてお話しますね。
まず、聖書箇所は、「旧約聖書 詩編103篇1~5節と、105篇1~4節」です。
<聖書箇所・103篇>
103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
<聖書箇所・105篇>
105:1 主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。
105:2 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。
105:3 主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。
105:4 主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
次に、説教の概要は次のとおりです。
<説教内容>
・ 祈りは神様とのホットラインです。
・ 神様は私達の祈りを決して忘れません。
・ 日曜学校で学んだ子供たちも、神様は決して忘れません。
・ 私達はみんな罪人ですが、イエス様の血によって救ってくださいます。
・ イエス様のくださる平安は、世の与えるものとは違います。
・ 神様は祈りをきかれていて、祝福を与えてくださいます。
・ 神様への祈りは150%叶えてくださいます。
・ 神様がしてくださった良い事を思い起こしてみましょう。
・ あなたが、何気なく教会へ来たと思っていても、実は神様の導きによって教会に来ているのです。
・ 神様は、私達を愛していてくださいます。
・ 私達を愛してくださっている神様に、心から祈りましょう。
<罪人の僕>
こんな罪を犯しました。
いや、正確には、人を赦したことあったのです。
ノンクリスチャン時代ですが、2回ほどしっかりと赦しました…
ただ、その赦し方に罪が感じられて仕方がありません。
まず一回目。
僕を小学生の頃からイジメまくっていたクソッタレ達が居ました。
教室内で、この僕を集団で殴る蹴るって感じで、これが6年間毎日続いていました。
何が辛いって、この無様で屈辱的な姿を、僕が想っている女子に見られることが一番つらかったですね。
よって、恨みも激しく大きい!
で、中学3年のとき、ある憎きいじめっ子が、僕と同じ高校を受験しました。
で、受験の結果、僕は合格し、ヤツは落ちました。
そして、ヤツはクラス担任に頼み込んで、ショボいFラン高校に裏口入学していきました。
僕は、最高に幸せな気分になり、腹の底から大笑いしました。
このことにより、僕はヤツを赦しました。
で、2回めは、もっとスケールが大きい赦しです。
これは、僕が35才ぐらいのことでした。
小学校時代のイジメにより、恨み続けてきたクソの家が火事になりました。
その家の燃えっぷりがスゴイく、炎だけではなく、ガスボンベにでも引火したのか、時々小爆発が起こっていました。
僕はこれを見て、腹筋崩壊して呼吸困難で死ぬほどに笑い転げました。
のみならず、クソの家で小爆発が起こるたびに、痛い腹筋を駆使して、「たまや~!」と叫んでいました。
この喜びは、独り占めするのがもったいなくて、沖縄で働いているいじめられっ子仲間の幼馴染に電話して、2人で大笑いしました。
沖縄君「火事ってマジ?」
僕「マジだ!今燃えてる!爆発も起こってるぞ!」
沖縄君「今夜は美味い酒が飲めそうだな!」
僕「ああ、最高だ!爆発するたびに「たまや~!」って叫んじゃったよ!」
沖縄君「おお!イイじゃん!「たまや~!」」
こんなゲスな会話をお笹馴染みとして、僕は「火事の君」に対する恨みは全くなくなり、赦していました。
「不合格の君」にも「火事の君」にも不幸が訪れたわけですが、彼らの不幸により優越感を得て、意味はないのですが「俺は奴らを超えた」という感覚を持ちました。
僕は自分の手による復讐など全くしていませんが、大喜びして笑い倒しました。
この部分って罪な感じがあります。
この様な敵が自爆した場合、笑い倒すよりも、ヤツに寄り添い慰めることが神様の御心なのでしょうが、肉とは弱いものですね。
さて、しっかり悔い改めて行こうかなぁ。
こんな罪人でも教会に通っています。
イエスさまのおっしゃるに「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。・・・わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」だそうです。(マタイ9:12-13)
罪を持っている人ほど、神様は教会に招いてくださるんですね。
長文失礼しました。
2018年5月3日
大盛りうさぎ
大盛りうさぎによる書き込みテスト